アニメ作品批判(特に辛口)への対応に関する私見


アニメの文芸的評価について書いたら、ちょっと厨っぽい事を思いついたので
この日記の品位を更に突き落とそうと試みてみる。




このはてなダイアリーに限らず、っつーか
別にネットもリアルも個人も商業もアニメも非オタク文化も拘らず
過激にこき下ろす批評は無数に存在するもので、
というかそれ自体は至極当たり前な現象である。
批評家は社会に必要だし、インターネットはストレス解消のための文句を
広い空間で幾らでも言えるところだし。
筆者は経験不足だし、そんな乏しい知識でも
作品評価に関する論争はインターネット以前からアニメ雑誌などで
ファンレター対制作者の回答という形で展開されてるのは知ってるけど、
それでも筆者はインターネットによって
「批評に対するレスポンス」がとてつもなく容易になったのではないか、と思う。
まあ、こんなのも至極当たり前な話である。
アニメ批評のサイトとか巡ってても、
掲示板やメール(或いはトラックバックやコメント)で、
こき下ろされたアニメの信者の人とかが怒りの反論を長々と叩き付け、
サイト管理人が余程ヒマなのか、取るに足らないような意見でもちゃんと論破する
レスを返すと言う構図が良く見られる(あくまで私見)。


ここで筆者が問題にしたいのは、批評に対し、怒り、反論する信者のスタンスである。
「このアニメの良さが分からないなんて馬鹿だ。馬鹿に批評する権利は無い。
 批評を削除or肯定的なものに訂正しろ」
「どうしてこんな悪口を言うんだ。百害あって一理無しだ。サイトを閉鎖しろ」
「『ここはこう悪い』と書いてあるが、私は
 そのシーンはこういう意味があると解釈し、評価している。訂正して欲しい」
上記の例も筆者が思いついたものであって、例としては不適切かもしれない。
とりあえず、こういった反論の姿勢は、あまり有利では無い様に思うのであるがどうか。
客観的に駄作の烙印を押しているレビューに対し、主観的に反論しても
勝ち目があるはずが無いと言うのも勿論、
主観的な感想に対する反論でも、同じ主観なら「考え方の違い」で
平行線にしかならない上、
「悪口を言うなんて悪い奴だ! 悪い奴はサイトを閉鎖して消えてしまえ!」
というような論調は、まず悪口を言う奴に対して
「悪い奴」と侮辱を与えている時点で自らも悪口吐きとして同レベルに落ち、
レビュアーは反論者に物理的実害を与えているわけではないのに
侮辱による精神的害(これは反論者も被っている)を与える上に
「サイトを閉鎖しろ」みたいな物理的障害(反論者は被っていない)を強要する時点で
反論者はもう一段階、レビュアーよりも絶対的に低い倫理的地位に落ちるのである。
つまり、上記のような反論(三番目除く)は前提の時点から負けているのだと思う。
三番目に上げた解釈論の話も、マナーは良いがそんなに有利ではないと思う。
解釈って主観だし。
この手の話題になると反論者とレビュアーはお互いに
「ちゃんと見ていればそんな解釈は出てこない」とか
「こんな解釈は普通の見方じゃ出来ない、そんな風に思うのは
 視聴スタンスにバイアスがかかっているからだ(そんなん当たり前だと思うけど)」
とか、泥沼化の一途を辿るような議論を展開させていくが、
その場合引き分け以上に決着はつかない。
反論者がサイトを持っていないのならばレビュアーがサイトや掲示板に
議論の結果として勝利宣言を書けば途中の議論がどんなでも
情報としてはレビュアーが勝ったという記録が残るし、
双方がサイトを持っていればお互いが勝利宣言を書いて事実上の引き分けである。
別にそれで良いって言う人もいるだろうが。
筆者としては、その手の議論を見る度に
「暇つぶしにしろ、もっと建設的な話が出来ると思うんだけどなあ*1……」
と思ってしまうのだが。


まあ色々あって筆者は、自分の好きなアニメがぼろくそに貶されている時は
以下のようにする事を提案する所存である。
即ち、貶しているレビュアーが賛美している作品を、
レビュアーの辛口批評の文脈上+αで貶すのである。
「アニメAは1と2の理由で悪い」というレビューがあるなら、
そのレビューサイトをくまなく探し、そのレビューを書いている人間が
「アニメBは3と4の理由で素晴らしい」と書いてあるレビューを見つけ、
掲示板や自分のサイトにこう書くのである。
「アニメBは1と2の欠点を持っている上に、5と6の欠点を持つ故に駄作である。
 しかしアニメAは1と2の欠点はあるものの、アニメBが持つ
 3と4の長所の上に独特の7と8の良さを持ち、傑作である。
 またこのことより、総合的な作品クオリティとしてアニメA>アニメBが成り立つ」
こうすれば、少なくとも前段落に例として書いた感情的な反論より
ずっと礼儀が良く、建設的である。
しかも、礼儀正しくありながら、反論者は間接的に
レビュアーを打倒し、優越感に浸る事が出来ると思うのだがどうであろうか。
勿論、立場的に有利と言う事は無く、寧ろやっと平等な立場に立った感じなのだが、
こういう議論の仕方の良い所は何と言っても、
作品の価値付けが明確化していくというところにあると思う。
別にレビュアーと反論者の二項対立に限らず、
様々な立場から二つの作品の評価を同じ見地からぶつけ合えば、
作品の付属する様々な項目の要素がいつしか
「一般大衆が『良い点』と認めるであろう点」「『悪い点』と認めるであろう点」
「人によって好みが分かれるだろう点」の三種類に分類が明確化されていく。


つまり、ファースト信者として種を貶す批評と、
種信者としてファーストを貶す批評、
無印信者としてジェネシスを貶す批評と
ジェネシス信者として無印を貶す批評など、
主観や感情のフィルターに支配された二つの批評のぶつかり合いから、
ある程度の普遍性(この「程度」は論者の多さ・多様性によって変わるだろう)
を持った作品の評価が現れてくるのである。


まあ、長々と言ってきたがこれも当たり前の話である。
2chのアニメレビュースレでは「レビューのレビュー禁止」で全て表現しているような、
そんな単純な話である。
レビューにはメタレビューではなく、レビューで立ち向かえ。
ところが、2chに限らず、この当たり前で単純な事の出来ない論者が
(反論者だけでなくレビュアーの側にも)大量に存在する。
が、「当たり前のことを出来ない輩が多すぎる」なんて
上からものを見るような書き方をすると、
受け手は自分が侮辱された感じを受けて改善しなくなる。
逆に言えば、当たり前のことを出来ない人間が多いのは
「当たり前のことも出来ないで云々」と自分の貧相な固定観念固執して
情報交流を考えないダメな「大人」達のせいであり、
常識が無い人間に常識が無いのは常識人に責任があるのである。
つまり、当たり前のことでも、しつこい位に情報発信すべきなのである。
という訳で、筆者の駄文は意味を持つのである。


匿名無礼

*1:確かに、世界中の議論が世間話や与太話に至るまで建設的であるべきだというのは不可能どころか、恐らく非倫理的・非科学的・非美学的である。 でもインターネットのBBSやメールのやり取りで行われるのは議論ではないのか? わざわざネットで口喧嘩やって楽しいのか? もしかしてリアルで喧嘩友達いないのか?