38話、ラストシーンの会話

まず、ホットな話題から始めようと思う。
ある者は感動し、ある者は首をかしげたこの会話。
私は作品にはのめり込みつつ首をかしげた方なので、多少のバイアスがかかってはいるが、とりあえずリクとコゲンタが話していたことは以下のように要約されるのではないかと思う。間違っていたらどなたか訂正をお願いします。


1)コ:お前の両親殺したの俺らしい。ごめん。別れよう。
2)リ:いいんだ。僕の両親は、僕を捨てて嬉しかったんだよ。
3)コ:何て事を言うんだ。俺を殴ったり憎んだりしろよ。
4)リ:いや、僕は君を信頼し続けるよ。(以下略)


……どうであろうか。私としては、ギリギリで噛み合っていないように思える。一見、1においてコゲンタが謝ったんだけれど、リクは2で全く関係のない事を言い(あるいは、両親なんてどうでも良いと言いたかったのかもしれないが唐突過ぎる感があるし、だったら主語は両親ではなく自分にすべきではないだろうか)、3でリクの錯乱した発言に突っ込み、話しの流れを強引に戻したと取れなくも無い。
しかし、1と何の関連性も無いとしか思えない2の発言に、コゲンタは「何て事を言いやがる」と、真面目な突っ込みをしてしまうのである。「俺を憎め」は1に掛かっているわけだから、「何て事を言うんだ」では無く「何を言ってるんだ」と言うべきではないのか。
4より後に関しては、演出の嗜好の問題が関わると思うので、ここでは言及しないでおく。*1


取りあえず、解釈の能力が足りない私には以上の理由で、1−2、2−3の話しの流れが不明である。その部分はどなたか、的確な解釈を持っているならばお聞かせください。単に脚本のミスかもしれないが、その場合かなり大きく分かり易いミスであり、制作の時点で指摘が出ないのはおかしいと思う。


それはそれとして、このシーン自体の意味は、流派章が上がった事からも最低限「成長イベント」であるということは分かる。しかし、それ以上の意味を考えるに際し、以下のような可能性があると思う。


1.リク達は成長した。でもそれは、コンゴウを倒した事により、コゲンタが百鬼滅衰撃三連撃を放っても意識を保てるほどの、パワーの成長をしたのが少し遅れて流派章に現れただけであり、リクとコゲンタの絆は実質すれ違いを続けている。だが、それは中村コンテのテンションと二人の悲しそうな泣き顔につられて、見るものにミスリードを誘発させるというスタッフの戦略である。
2.対話によって、リク達は成長した。でもそれは、心の成長ではあるものの、真実を聞かされて錯乱したが、お互いの存在を支えにする事によって何とか自我を保つ事が出来たと言うささやかな内面の成長であり、リクとコゲンタの外的な絆はやはりすれ違いを続けている。お互いを想うような台詞を言ってはいるが、スタッフはそこに本当の友情を表現していると言うよりは、自分への言い聞かせを言い合っているだけで実は成り立ってない対話をさせているのだが、そこに中村コンテのテンションと(略
3.対話によって、リク達は成長した。内面も強くなり、かつお互いの絆も深まった。テンションが高く且つウエットに調整した中村コンテに乗せて、そうした様々な成長を強く表す感動のシーンだと、スタッフは考えている。


他にもあのシーンには様々な意味が考えられるが、それは他の方による意見を待つとして、私としては、好意的に考えるなら1と2の解釈が有力であると考えている。
このシーンの演出にこめられた意味・意図が1や2であるとすれば、伏線を回収したのではなく、寧ろ考えようによっては新たに伏線を張っているシーンなので今後の展開如何によって考える必要があり、現時点では考察も評価も思考停止せざるを得ない。この場合、整合性に欠けるという批判も適切だし、感動するという意見もまた適切である。批評を前提として見るか、感性によって享受しようとするか、視聴のスタンスによる違いと言う事で結論が出来、そしてどちらのスタンスも間違ってはいないからである。
もし、3の場合は疑問である。あのシーンにそこまでの説得力があるようには、一見した限りは思えない。3の解釈で、肯定的な感想を述べている方がいましたら、具体的にどういう部分に感動したのか、宜しければご意見を。


 このシーンの考察は現時点では以上。問題提起のみ。


匿名無礼

*1:ここ以降は、物語の文脈としてはズレているかも知れないが、台詞回しだけ取り出せば比較的普通のものであり、会話が成り立っていないほどではない、と思う。後は、アッパーなテンションの中村コンテによる強引な感動演出に、多少無理があっても台詞を追従させたという解釈が成り立つため、その場合はその手法に対する好みの問題で評価が分かれるだろう、と考えた。