デジモンセイバーズ 第二話時点での主観的考察――ガイキングとの主人公比較から――


ツワブキ・ダイヤと大門大には色々と共通点を見出せるかもしれない。
それは例えば、
子どもの受動的な部分がかなり排除されており、
最近の主人公にはあまり見られない、大人顔負けの自主性を持っている所、
一話に一回決め台詞を言う所、父親が行方不明な所等が
挙げられるかもしれない。
2chガイキングスレで、
> 456 名前: 風の谷の名無しさん@実況は実況板で
> 投稿日: 2006/04/04(火) 21:17:48 id:szjM2/DI
> 商業主義にまみれたデジモンよりガイキングのほうが
> クオリティ高くておもしろく感じるのは気のせいですか?
という煽りっぽいカキコがあったが、それは結構面白い指摘かもしれない。
とは言えガイキングスレで言うとスレ違いなのでここで言うが、
確かに、今作品の山口亮太脚本に大人しさを感じるのは事実で、
それは、デジモンというそれなりに小さくも無いビジネスである故に
制約を受けている部分があるからだと推測できない事も無いかもしれない。
しかし、完全に三条的なレトロセンスと価値観の産物である
ツワブキ・ダイヤと大空魔竜メンバーに比べ、
デジモンセイバーズ」の括りの中で構想されたであろう
大門大とDATSメンバーは、
商業的な制約によって、メリットを生じたと言えるかもしれない。
ダイヤはあまりにも完璧超人且つ良い子過ぎるが、
大は現代っ子だらけの世界に投入された正義の喧嘩番長として、
常識の無さや思慮の浅さを欠点として浮き彫りにさせられ、
完璧すぎるヒーロー像を回避できている部分があり、
それは大のキャラクター性のリクエストと、
現代的な価値観を持った藤枝淑乃を代表とする
従来の「デジモン」キャラクターのリクエストが、
メダロットゾイドジェネシス(あんま見てなかったけど)で
純粋だけどちょっと屈折して、
そして純粋で屈折したまま成長する現代っ子主人公を書きまくった
山口脚本の志向性と上手い具合に化学反応を起こした結果なのかもしれない。


早速この書き方も疲れてきた、予告無く終わるかもしれない。